back
back

Mr.戸袋の米国シニアレポート

since 1995 sendai citizens' network for seniors

あとがき

 昭和20年、日本は戦争に敗れました。その頃、私は、東京の横田基地の近くに住んでいました。大勢のアメリカ兵が街に現れ、子供達には、チュウインガム、チョコレイトが配られ、私達は、初めて噛む板チュウインガムや板チョコレイトに異国の匂いを感じ、アメリカはすごいな、そしてアメ車と言われた大型の乗用車、キャデラック、リンカーンサンダーバードが街を走り、アメリカという国はどんな国なんだろう、子供ながら、その偉大さを感じていました。

    1975年頃、2年間アメリカに住む機会をえ、子供の頃の憧れの国の生活を体験する事になりました。日本の製品も、ようやく、安かろう、悪かろうの時代から、カメラ、電気製品などの日本製がどんどん改良され、日本の製品は大変優秀だと評価される時代に入った頃でした。もはや戦後ではない、などと言う言葉が流行りました。しかしながらアメリカ人の生活様式、合理性的な考え方などは10年、いや20年は日本より先を行っているとの思いは脱ぐえませんでした。

 日本のその後の発展は目覚ましく、バブルの最盛期には、第二次世界大戦で日本が東南アジアを占領したように、世界中の土地を日本の企業が買いあさり、日本はアメリカを抜き世界一の経済大国になったと、日本中が思ったものでした。

 生活様式の違いはありますが、ある面ではアメリカと肩を並べる水準になっているのは事実です。

 そのような折りに、アメリカの病院施設や高齢者介護施設の関係者の話ではなく、アメリカの高齢者からアメリカ人の高齢者の生活様式をアメリカ人の中に入り、じかに話し合う機会を得ました。

 私達が知らなかった点が沢山ありました。特にアメリカの高齢者問題に取り組む対策は、第二次世界大戦が終わってすぐの1950年ごろすでにスタートしていました。

 高齢者が老後、いかに過ごすか。介護施設、高齢者住宅の問題、精神面の相談、健康の問題、リクレーション活動の問題など色々ありました。高齢者の多くは「自分の事は自分でしよう」「人から何かをしてもらうのではなく、何かをしてあげよう」と考えていました。そして高齢者が住む住宅や病院施設の建設が進められました。沢山のボランティア組織が出来、福祉面だけではなく、予防医学が進み、精神面でもリクレーション活動を通して、元気に老後を過ごす方法も研究されておりました。

 アメリカにはすでに50年もの高齢者問題に対するノウハウの蓄積があるのです。

 今回のサンシティ・ウエストへの訪問は、私に「こんな豊かな、伸び伸びした高齢者社会が地上にあるのだろうか」「どうしてこんなに、生き生き、楽しく過ごせるのか」との思いを抱かせました。信じがたい事実に接する機会となったのです。

 ふと、このようなショックをどこか受けたことがあるな、と遠い昔を思い出しました。それは、50年前の幼い時に見たアメリカ人の事でした。あの時受けた、アメリカの偉大さと同じ感動を、この街にきて感じていました。

             

line
menu
シニアのための市民ネットワーク仙台
仙台市若林区石名坂8
Copyright(C) 1996-1999, Sendai Citizens' Network for Seniors
E-mail:info@sendai-senior.org
line
back